マイク・タイソンのYoutubeチャンネル”Hotboxin ‘”にて、エミネムがラッパーを目指し始めたデビュー前について語っています。12〜13歳の頃からラップを書き始めたエミネムですが、当初は自信がなく、曲を世に送り出すためには友人の後押しが必要でした。
「俺は直ぐにビビってたんだ。まるで15~16歳のガキのように。クラブに行ってラップを披露するのが怖かった。まだスキルに自信がなかったからね。だから俺は決まった場所でラップしてたんだ。 ある日、俺はただ歌を作ってたんだ。親友のプルーフから電話があって、彼が「Yo!今度ヒップホップ・ショップに来いよ」って。俺は「ヒップホップショップってなんだよ」って感じだったんだけど、プルーフは「いいからヒップホップ・ショップに来い!ラップする準備ができたらここに来い」って。俺たちは一緒にラップを始めたんだけど、プルーフは彼自身のことをやるつもりで(恐らくヒップホップショップのバトルホスト。8Mileで言うフューチャーのモデルがプルーフです)、俺は工場とかで働いてた。プルーフは凄く頑張ってて、コネ作りを始めたんだけど、彼は”Slum village”の J Dilla と出会った。当時のデトロイト・ヒップホップは業界でも衝撃だった。 プルーフもその一部なんだけど、俺にもチャンスが巡ってきたんだ。。。
ヒップホップ・ショップに行ったとき、俺は「おい待てよ、何だこれ?」って感じで、プルーフは 「Yo!皆を片付けるよ。10人ぐらいいるけど、お前が奴らの前でラップして、もし奴らがお前を気に入らないっていうのなら、その時はお前に伝える。もし、奴らがお前を気に入って、お前とぶっ飛びたいってなったら。。。な?」って。だから俺はそこでラップして、何人かを飛び跳ねさせて、ぶっ飛んで、そして「オーケー!これならできるかもしれない」って感じだった。 それがヒップホップ・ショップでのバトルの始まりだった。 俺たちは2~3か月ごとにバトルに参加してたんだけど、ヒップホップ・ショップ に行くために毎週土曜日は16時まで働くことをやめた。 20代前半の頃は金曜日の夜、土曜日はSt. Andrews Hallに行って、火曜日はEbony Showcaseに行ってた」
「遂にバトルする時が来たんだけど。ヒップホップ・ショップでの最初のバトルは勝ちだったんだ。プルーフには名札を集める役割があって(プルーフはバトルホストを務めてました)、彼はそれを帽子に集めてた。もしバトルに参加したいなら、自分で名札を書いてプルーフの帽子に入れる、その中からプルーフが名札を引いてバトル開始って仕組み。 Bizarre 対 B-flat てな感じさ。(※B-フラットはD12がメジャーデビューする前の元メンバーです。)彼らはバトルして、俺も誰かとバトルしていた。一度だけD12のメンバーの Kuniva とバトルしたことを覚えてるけど、その当時KunivaはD12のメンバーじゃ無かった」
左がプルーフ、右がB-フラット。 ヒップホップショップでのエミネム対クナイヴァの一コマ。
コメント