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エミネムの最初のスタジオアルバム“Infinite”

eminem's discography

Infiniteは、Eminemの1stスタジオ・アルバムである。1996年11月12日にWeb Entertainmentからリリースされた。レコーディング・セッションはBass Brothersのスタジオで行われ、Denaun Porterとエミネム自身がプロデュースを担当した。このアルバムには、デトロイト出身のラッパー、Proof、Denaun Porter、Eye-Kyu、Three and Thyme、そしてシンガーのAngela Workmanがゲストとして参加している。

Infiniteはカセットテープとレコードでリリースされ、エミネムはデトロイトで車のトランクから販売していた。オンライン・ミュージック・ストアでは正式に販売されておらず、Spotifyではタイトル曲であるInfiniteのみ配信されている。

アルバム発売20年後の2016年11月17日、エミネムは自身のVevoチャンネルにBass Brothersが手掛けたリマスター版のタイトル曲をデジタル音源として初公開した。このアルバムはエミネムがInterscopeと契約する前に制作されたため、当時のカセットやレコードの価値は上がっている。

アルバムの背景とレコーディング

1995年、エミネムはJeff BassとMark Bassが経営していたFBT Productionsと契約。Infiniteは、エミネムがリリカルな詩を試みて、自身のキャラクターをまだ築き上げていた段階”プレ・ショック・ラップ期”(物議を醸さない詩)のエミネムを披露している。ラップでスターダムにのし上がる前の人生についての洞察を与えてくれる。

デトロイトのヒップホップ・シーンに受け入れられようと必死だったエミネムは、ラップスタイルがNasやAZのようだと非難されてしまった。

AZとNas

マーク・ベースとエミネムの出会いのきっかけ

Infiniteの発売から20年後の2016年、Rolling Stone誌によるInfinite特集記事のインタビューにてマーク・ベースがエミネムとの出会いについて語っている。

Bass兄弟とエミネム

「1995年か96年だったか車を運転してたら、ラジオから彼(エミネム)の声が聞こえてきたんだ。『おっ、誰だ?』って感じだった。彼はデトロイトでWJLB-FMのプログラマー、Lisa Orlandoとオープンマイクをやっていた。『この子は誰だ?彼をスタジオに呼ばないと』って思った。それでラジオ局に電話して、『その男と電話をつないでくれ』って頼んだんだ」

Eminem’s ‘Infinite’: Producers Revisit, Remix MC’s Inauspicious Debut,By Mosi Reeves,November 17, 2016

後にD12で共に活動し、現在もプロデューサーとしてエミネムの右腕として活動しているDenaun Porter(Mr. Porter)がInfinite制作当時の状況について語っている。

「当時、ヒップホップの中心人物はNas、AZ、LLだった。俺たちはラジオでプレイされることを狙っていたんだ。俺達が子供の頃のようにラジオで注目されるために。俺は自分の持っているもの全てを使っていた。ソウルのサンプリングを使って、みんなに何かを感じてもらいたかったんだ」

Denaun Porter, In-Depth: Working With Eminem & Dr. Dre, Making “Devil’s Night,” & “Infinite”,BY Mitch Findlay,Aug 14, 2020

D12のメンバー、プルーフとMr.ポーターもレコーディングに参加

「俺とエムの関係は、アルバム制作から始まったんだ。だから、彼がアルバムを制作しているときはいつでも重要だった。俺はビート作りでは無くて、プロデューサー業から始めた。スタジオに入っていた時、エムは『これは良いと思うけど、ドラムを変えたい』と言った事があった。プルーフはSP-1200を持っていたけど、俺はそんな機材持っていなかった。俺がアルバム制作で使用したのはAkai SO1で、シーケンサーさえなかった。全部手作業だったよ(笑)」

Denaun Porter, In-Depth: Working With Eminem & Dr. Dre, Making “Devil’s Night,” & “Infinite”,BY Mitch Findlay,Aug 14, 2020
SP-1200® Reissue | 伝説のサンプラードラムマシン
エム
エム

SP-1200は、エミュレーター(Emulator)シリーズの一部で、エミュレーターSP-1200とも呼ばれる、1980年代から1990年代にかけて一世を風靡したサンプリングドラムマシンおよびサンプラーだ。ヒップホップ、ダンスミュージック、電子音楽などの音楽プロデューサーやミュージシャンによって広く使用された。

Akai SO1
エム
エム

Akai SO1は、Akai Professionalが1990年代初頭に製造および販売したサンプラーおよびシンセサイザー。SO1はコンパクトで手のひらサイズのデバイスで、音声サンプルを取り込み、編集、再生することができるシンセサイザーとしての機能を備えていた。

アルバムコンセプト

エミネムは、デトロイトのラジオ局で曲が流れることを期待して、Infiniteの収録曲を意図的に「ラジオ向き」に制作した。Infiniteで扱われたテーマには、生まれたばかりの娘であるヘイリー・ジェイド(Hailie Jade Mathers)を最低賃金で働きながら育てることに奮闘する姿と、そして成功したいという強い願望が含まれている。

メジャーデビュー前のエミネム

エミネム自身は当時の状況について「明らかに、俺は若かったし他のアーティストの影響を受けていた。そして、AZにスタイルが似ているというフィードバックをたくさんもらった。Infiniteは、自分のラップスタイルやマイクでの音の出し方、自分をどう見せたいのかを考えていた。成長の過程だった。Infiniteは、プレスされたばかりのデモのようなものだったと感じていた」と語っている。

売れ行きと評価

1996年11月12日、ベース兄弟のレーベルであるWeb EntertainmentからInfiniteをリリースした。Infiniteは1,000枚分のみしか製造されなかった。エミネムは自伝『The Way I Am』(2008年)の中で『70枚ぐらいしか売れなかった』とコメントしている。

デトロイトのラジオ局で僅かにオンエアされたが、満足のいく結果を得ることはできなかった。”Open Mic”と”Tonite”が何度かプレイされた。また、クラブのDJ達は”Tonite”をピックアップした。クラブの雰囲気に最も近い曲だった。他の収録曲はアンダーグラウンドでハードコアな曲調で、”Backstabbers”に至ってはクラブで流すのには適していないという評価であった。

Infiniteリリース後、エミネムは左腕に”Slim Shady”という刺青を入れて戻ってきた。Infiniteの失敗に失望したエミネムは「世界なんかクソくらえ」と言うことを決意した。Infiniteのプロジェクトでは、ラジオ向けにクリーンに保とうとしてたが、自分のスタイルを貫くことを決めた。そしてSlim Shadyが舞い降りてきた。

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