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エミネムと母親デビーとの確執、曲、現在の関係について

コラム

エミネムは母デビーから薬物乱用疑惑や誹謗中傷の件で告発され裁判沙汰に発展していた。波乱に満ちた二人の親子関係を振り返り、現在の関係性についてまとめています。

エミネムの母デビーについて

エミネムの実母であるデビー・ネルソン・マザーズ=ブリッグス(Debbie Nelson Mathers-Briggs)は、1955年にミズーリ州の軍事基地でボブ・ネルソン(Bob Nelson)とベティ・ネルソン(Betty Nelson)の間に生まれたとされている。

デビーの両親は常に喧嘩の絶えない生活で離婚。デビーはストリップクラブのバーで働く母親と暮らすことになったという。デビーが15歳の頃、エミネムの父親であるマーシャル・ブルース・マザーズJr.(Marshall Bruce Mathers Jr.)と結婚した。デビーは回顧録の中で、この決断は虐待する継父から逃れるためでもあったと述べている。

73時間の陣痛に耐えてエミネムを出産

1972年10月17日、73時間に及ぶ難産の末にエミネムを出産した。血尿と発作で一時的に昏睡状態になり、死にかけたと手記に記されている。低体重で生まれたマーシャルは、生後まもなく肺炎で入院を余儀なくされる。

エミネムがまだ幼いころに父マーシャルJrと母デビーは離婚を決意。エミネムとデビーはカンザスシティとデトロイトを転々とした生活を送っていた。1、2年以上同じ家に住むことはほとんどなく経済的にも苦しかった。

生後間もないころのエミネムことMarshall Bruce Mathers III

「エミネムの生い立ち・母親や父親、ラップとの出会いについて」はこちらをクリック

エミネムが母デビーの薬物乱用についてラップ

エミネムのメジャーデビューアルバム“The Slim Shady LP”(1999年リリース)に収録されたヒットシングル“My Name IS”で母親がドラッグ中毒である事をラップしていた。

Ninety-nine percent of my life I was lied to
(人生の99%はウソをつかれてた)
I just found out my mom does more dope than I do (Damn!)
(母さんは俺よりも中毒者だったことに気付いた)
I told her I’d grow up to be a famous rapper
(成長したら有名ラッパーになるって母さんに伝えたんだ)
Make a record about doin’ drugs and name it after her (Oh thank you!).
(ドラッグをやってるって曲を作って母さんの名前を出すってな)

“My Name Is”Eminem,Produced by Dr. Dre,Release Date January 25, 1999

母デビーがエミネムを訴える

デビーは1999年末、“The Slim Shady LP”で自分を誹謗中傷しているとして、エミネムに対して1,000万ドルの名誉毀損訴訟で提訴した。エミネムがリリースした曲や、メディアに暴露した母親の薬物乱用疑惑を問題視していた。

エミネムのマネージャーで弁護士でもあるポール・ローゼンバーグ(Paul Rosenberg)はこの訴訟について声明を発表。

「エミネムの人生は彼の音楽に反映されている。彼の発言は全てが真実であると確認できる。真実は、名誉毀損の訴えに対する絶対的な防御となる。エミネムはこの訴訟について驚いてはいない。彼の母親は、シングル“My Name Is”のヒット以降、息子を訴えると脅していたからだ」

“Eminem Sued By His Mother For $10 Million”,By archive-Kara-Manning,MTV.com,September 20, 1999
5:45 PM

2001年、デビーは25,000ドルの和解金を受け取ったが、そのうち23,354ドルは彼女の弁護士に支払われることとなった。

エミネムが母親について言及した曲

エミネムが2002年にリリースした曲“Cleanin’ Out My Closet”で、デビーが『代理ミュンヒハウゼン症候群』に苦しんでいるとラップした。

チェックポイント代理ミュンヒハウゼン症候群とはミュンヒハウゼン症候群の一形態であって、子どもを故意に傷つけて熱心に看護するふりをして周囲の注目を集めようとする精神疾患

Going through public housing systems, victim of Munchhausen’s Syndrome
(公営住宅を渡り歩き、ミュンヒハウゼン症の犠牲者)
My whole life I was made to believe I was sick when I wasn’t ‘til I grew up, now I blew up.
(成長するまで病気でもないのに病気だと信じ込まされてきた俺の人生、今じゃ吹っ切れた)

“Cleanin’ Out My Closet”,Eminem,Produced by Jeff Bass & Eminem,Release Date May 26, 2002

また、2009年にリリースした曲“My Mom”では、デビーがジアゼパム中毒でエミネムの食事にバリウムを入れていたと主張している。

“Valium was in everything, food that I ate,The water that I drank, f**kin’ peas in my plate, she sprinkled just enough of it to season my steak.”
(ジアゼパムは何にでも入ってた、俺が食べたもの、俺が飲んだ水、皿に乗ってる豆にも、ママは俺のステーキに丁度いい量を振りかけてた)

“My Mom”,Eminem,Produced by Dr. Dre,Release Date May 15, 2009

母デビーとの確執に終止符を打つ

母デビーと息子エミネムの激しい確執に終止符が打たれた。エミネムが2013年にリリースした曲“Headlights”の中で母デビーに謝罪し、自分を育ててくれた彼女に感謝したことでようやく収束した。

“Never thinking about who what I said hurt, in what verse,
(歌詞や俺の発言で誰かを傷つけたなんて考えてもなかった、歌詞の中で)
My mom probably got it the worst, The brunt of it, but as stubborn as we were, Did I take it too
far?”
(ママが一番酷い目にあった、矢面に立たされた、でもお互いに頑固だった、やり過ぎだったのか?)

“Headlights”,Eminem,Featuring Nate Ruess,Produced by Emile Haynie, Jeff Bhasker & Eminem,Release Date November 5, 2013

母デビーが「乳がん」と診断されていた

2003年、母デビーは乳がんと診断されていた。その後、2006年には「ステージ4」まで乳がんが悪化していたが、36万8000ドルの入院費をエミネムが支払う。2人の関係を和解させるために、瀕死の母親の医療費を支払うことに同意したと伝えられている。

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