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エミネム、初来日のフジ・ロックと50セントとの契約の裏話

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1996年に1stアルバム「 Soul on Ice 」でデビューしたカリフォルニア出身のラッパー・Ras Kass(ラス・カス)が、エミネムが初来日したフジロックでの裏話と、50セントとレーベル契約した経緯を語っている。

「彼は1年に1枚のペースでアルバムを出していた。俺の記憶が正しければ、『 The Eminem Show 』は発売されていたと思うけど、まだ発売前だったかもな。もしかしたら『 The Masrshall Mathers LP 』だったかもしれない。
いや『 The Eminem Show 』は発売していたな。
彼はイラストを持っていて、ライブ会場は『 The Eminem Show 』と同じようにデザインされていた。(エミネムは)まだ50セントのことを知らなかった。(※1)」

Ras Kassは「まだ50セントのことを知らなかった。」と語っていますが、エミネムと50セントの初対面は1999年のリリシスト・ラウンジ・ツアーです。エミネムは1999年に会っていたことを憶えていなかったのかも知れません。

「はじめに言っておくけど、俺はポール・ローゼンバーグ(Paul Rosenberg)やドクター・ドレー(Dr.Dre)よりも前にエミネムの事を知っていた。彼がデトロイトに居るころから知っていた。
Jay-Zの家に泊まってる時にデトロイトでショーがあったから、Jay-Zと契約していた親友と一緒にデトロイトに行ったんだ。でも、エミネム達のことは既に知っていたよ。最高(ドープ)だったね。
ギルティ(Guilty Simpson)、ヘックス(Hex Murda)、トリック・トリック(Trick Trick)、プルーフ(Proof)、ロイス(Royce Da 5’9″)、他にもいるけど彼らは最高(ドープ)だった。地元の人脈は重要なんだ。
ラップが得意って事なら、その実力をデトロイトに行って証明しなければならなかった。そして彼らは(デトロイトから)LAに来て実力を証明しなければならない。ブルックリンに行ってもそうだ。ブルックリンの奴らはコンプトンへ。コンプトンは世界中から叩かれていたな」

「ポールが教えてくれたんだけど『The Blair Witch Project』(ブレア・ウィッチ・プロジェクト)のパロディ映画(※2)があるって…アイオヴィン(インタースコープ・レコードの社長)がエミネムをドレーに会わせに行った時、俺は2ndアルバム『Rasassination」を発売していた。『Rasassination』の最初の発売イベントか何かだったんだけど、エミネムが現れたんだ。彼はLAにいて『ドレーが俺を連れてきてくれた』と言ってた。その時の彼のマネージャーはデトロイト出身の黒人だった。ポール・ローゼンバーグじゃなかったな。エムはまだレコードをリリースしてなくてレーベルと契約をしたんだ。
パロディ映画「Da Hip Hop Witch」の話をポールが持ってきて「3,000ドル払うからこの映画に出演して欲しい。エムは出るぞ。」と言ってきたから、「分かったよ」と返事した。
ポールが金を稼いでくれたんだけど、全ては愛だった。正直言って当時はかなり無邪気だったよ。
いつも皆に当時の事を語ってるんだけど… 俺たちは夢を持った”子供”だったんだ。みんなで助け合ってた。それがいつからか政治的になったり、敵対的になってしまった。みんなが才能とスキルを持っていて、お互いを信頼して協力し合っていた時代が好きだった。」

(※2)「Da Hip Hop Witch」エミネムが初出演したコメディ映画。8マイルよりも前に公開されています。

「ポールがイグジビット(Xzibit)のマネージメントも始めて、俺もレコード関係の契約をしていた時に、オービー・トライス(Obie Trice)との出会いがあった。オビーは 『Rap Name』をリリースしたばかりだった。イグジビットはどんどんアルバムを出していたし、すでにドレーとも制作していて絶頂期を迎えていた。イグジビットと俺とSaafirの3人でヒップホップ・グループ『Golden State』も作ったんだ。
その後に、エミネムがD12とオービー・トライスをデビューさせた。まだ50セントの話は出てなかった。そして、俺たちはアンガー・マネジメント・ツアー2002(Anger Management 2002)のツアーに出たんだ。
その前に、フジ・ロックに出た。100万ドルの現金を見たのは初めてだったよ。俺たちの誰もが100万ドルの現金を見たのは初めてだったと思う。日本に行ってライブをやった時にエムがヘッドライナーを務めた。イグジビットと俺とSaafirがエムの直前に出演して、それからD12とエミネムが出演した。
それからアンガー・マネジメント・ツアー2002のショーにも出た。
メンバーはX-ecutioners、パパ・ローチ(Papa Roach)、リュダクリス(Ludacris)、イグジビット、D12、エミネム。
アメリカ中を回ったんだ。それから海外にも行く予定だったけど、刑事事件を抱えていたから海外には行けなかった。出頭してなかったから、税関で逮捕されてしまったんだ。(※3)そこで50セントが加わることになった。」

(※3)Ras Kassは「飲酒および薬物服用下で運転した罪」と逃亡による刑期加算で2年間の服役をすることになります。

「エムはアンガー・マネジメント・ツアーの時に50セントと契約した。エミネムは50セントを知らなかった。俺が50セントを知っていたのは、ジミー・ヘンチマン( Jimmy Henchman )のスタジオにお互い出入りしていたからだ。世界は狭いと何回も言うけど、みんな何処かで繋がってるんだよ。
エミネムのボディーガードは、マンハッタンの連中でニューヨーカーだったんだ。彼らはミックス・テープを持っていて、50セントの曲を流してたんだ。それでエミネムは50セントの事を知った。ボディーガードの男が契約金の1%でも得ていれば… 人生を変えるような大金を得ていたかもしれない。物事はすぐに変わる。エミネムは50と契約したんだ」

Ras Kassの事はあまり詳しく知らなかったですけど、面白い話を沢山話してくれました。エミネムの初来日は2001年のフジ・ロック参加ですが、そこにRas Kassも一緒に参加していたこと。

50セントと契約するきっかけの一つがRas Kassのアンガー・マネジメント・ツアー離脱。

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