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「HotboxinインタビューVol.02」エミネム、バトルラッパー時代の苦悩

コラム

エミネムはバトルラッパーとして紆余曲折なキャリアを経験しています。
「 Rap Olympics 」 (ラップ・オリンピック)に参加する前に、彼は家を追い出され、名声だけでなく、少額の賞金も獲得したいと必死でした。ですが彼は負けてしまいます。バトルでの敗戦と苦痛について語っています。

「 俺をデトロイトから連れ出してくれた何人かの人と会って、向かったんだ。。。シンシナティ(※1)で開催されている「97 Scribble Jam 」に参加して決勝戦まで残ったんだけど、 J.U.I.C.E. という名のラッパーに負けた。その日の彼は本当にめちゃくちゃ良いラッパーだった。彼が凄く良かったから負けた事には納得している。

「それから Wendy Day という女性に出会った。彼女は俺をバトルチームに入れたんだ。彼女はロサンゼルスでの「ラップ・オリンピック」ってイベントの運営に携わってて、大会に参加するようにとチームに加わった。俺はLAに向かって、ラップ・オリンピックのバトルに参加して、決勝戦まで残ってまた負けてしまった (※2)。俺は凄く落ち込んでた。ちょうど家を追い出されてた時で、家の中に入るためには裏口から侵入しないといけなかった。俺たちは、ある男に家賃を払ってたんだけど、そいつが着服してやがった。ラップオリンピックに向かう前日に。Wendy Dayが飛行機のチケット代を払っくれたんだ。彼女のために神に感謝するよ。仕事から帰ってきたある日、俺とツレが家に着いた時「なんだよコレ!?」って感じで、俺の家は芝生の上にあって、何人かの人がいろいろ調査していた。だけど、居場所がなかったから裏口から家に侵入するしか無かった。裏口には古い窓があったから叩き割って家に入って、そこで一晩過ごして、翌朝ラップオリンピックに向かった。優勝賞金は500ドルで、俺はその500ドルがどうしても必要だった。だけど負けてしまってかなり荒れてた」

「バトルが終わった後 Dean Geistlinger って若い子が近づいてきて、『テープ貰ってもいい?』って言うから『はいよ』って渡してそんな感じ。ディーンが Jimmy Iovine と一緒に働いてるなんて知らなくて、彼は俺のテープをジミーに渡して、ジミーが Dr.Dre にテープを渡した。俺はデトロイトに戻ったんだけど、何も手持ちもなく、帰る家もなかった。そんな時電話が掛かってきて『ヤバイ!?凄いことが起きるぞ』って」

エミネムをスカウトしたディーンとの2ショット。

(※1)オハイオ州にある都市。デトロイトから400km以上、車で4時間ほど

(※2)このインタビューの中でエミネムは1997年ラップオリンピックでの決勝戦の相手については触れていませんが「 Otherwize 」というラッパーが対戦相手で彼が優勝しています。恐らくですがエミネムは「 Scribble Jam 」でジュースに敗戦したことには納得しているが、ラップオリンピックでの敗戦は不満を感じているんだと思います。

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